Home > セミナー申込

水俣と有機農業の原点を語る

登壇者 大澤 菜穂子 氏
からたち
登壇者 魚住 道郎 氏
日本有機農業研究会 理事長
登壇者 徳江 倫明 氏
(一社)オーガニックフォーラムジャパン会長

内容 「水俣病問題と有機農業運動の原点を語る」
―かごしま有機生産組合代表、全国有機農業推進協議会理事長、日本オーガニック会議実行委員長 故大和田世志人追悼記念 映画「MINAMATA」上映会とトークセッション―

第7回オーガニックライフスタイルEXPO最終日最後のプログラムは、昨年9月公開され、大きな反響を呼んだハリウッド映画、ジョニーデップ主演の「MINAMATA」の無料上映会! このチャンスに是非見てもらいたい映画だ。

【映画「MINAMATA」について】
この映画は、世界的報道写真家であり、かつて「世界で最も偉大な十人の写真家」にも選ばれたW・ユージン・スミスが最後の仕事として、1971年から74年を水俣に住み、水俣病事件の現実を撮り続けた史実を映画にしたもの。 そして1972年6月2日号の世界的雑誌「LIFE」に一枚の写真「入浴する智子と母」を掲載。水俣病の現実が世界を震撼させ、この写真によって“水俣病問題”、“公害”を世界が知ることとなった。この映画はこの一枚を撮るまでの過程をユージンの心の動きをとらえながら、その“視線”の先にある、“事実”ではなく、ユージンがみた“真実”を描いている。 水俣で共に過ごした元妻のアイリーンによればユージンは“一枚の写真は1000の言葉に値する”と言っていたと回想している。この写真は、1998年以来家族からの要請で非公開となっているが、今回その撮影が再現され、素晴らしい映像になっている。それだけでも一見の価値ありだ。是非観て欲しいと思う。

【水俣は環境問題の原点】
水俣病問題は1956年の公式発見以来すでに66年が経過している。加害企業「新日本窒素肥料株式会社(以後チッソと表現)」の廃液に含まれていたメチル水銀が原因であった。その間、1967年に成立した公害対策基本法は1993年に環境基本法に代わるが、1971年その所管庁の環境庁(現環境省)が設立されたのも、水俣病対策をきっかけとしている。加害者と被害者が明確な公害問題はその後さらに拡大し、誰もが被害者であり加害者でもある環境問題として認識されるようになった。その意味で水俣は日本の環境問題の原点といえる地である。

【そして、水俣は有機農業の原点でもある】
一方で、水俣は有機農業の原点でもあるということはあまり知られていない。高度成長に向かった時代、化学肥料の生産をメインとし、ビニール、プラスティック生産の最先端企業であったチッソは農業の近代化になくてはならない存在であった。そのチッソがもたらした水銀汚染は水俣の海を禁漁に追い込み、水俣病という悲劇にさいなまれながら半農半漁の漁師たちは陸に上がり、甘夏の栽培に取り組んだ。その漁師たちはチッソを中心とする農業近代化の象徴であった化学肥料、そして当時普及した水銀系や塩素系など、その危険性が指摘されていた農薬の使用を避け、有機農業による甘夏栽培に取り組んだ。当時、水俣病患者の支援に移り住んだ人々は多い。彼らは水俣の甘夏を東京など都市部にむけた販売システムを作り、生協や有機流通専門団体との契約栽培に取り組んだのである。それが日本に有機農業を広げていく産直事業の原点を作り出した。そして有機農業は環境問題と深く結びつき、民間の動きとして地道で継続的な動きを通して広がっていった。

【トークセッションについて】
1970年代、水俣病問題に触発され有機農業の世界に飛び込んだ人間は全国に数多くいる。患者支援組織の活動は多くの共感者を生み、今でいう“関係人口”の増大を水俣にもたらした。さらに当時の移住者は70を超え、今やその2世、3世たちがしっかり後を継ぎ、環境再生の新しい地域づくりに取り組んでいる。 今回は水俣病問題に触発され有機農家への道を歩み、現在日本有機農業研究会の理事長を務め、茨城で有機農業を実践している魚住道郎氏、1970年代、水俣に移住し水俣病患者支援組織を作り甘夏の産直事業を作り出してきた団体、反農連(反農薬水俣袋地区生産者連合)の第2世代で団体名をは“からたち”と変え、有機栽培の柑橘や加工品などの産直事業をしっかりと発展させている大澤菜穂子さんをお招きして話を聞く。 聞き手は、当EXPOの主催者徳江倫明。 徳江は、1951年水俣に生まれている。父親は加害企業であるチッソの水俣病の原因となった可塑剤アセトアルデヒト生産工程を作った時の技術部長、のち専務となり、水俣病裁判で証人喚問を受けている。大地を守る会創業時メンバー、そして有機農産物宅配組織らでぃっしゅぼーやの操業など、やはり水俣を原点に有機農業を普及する活動を続けてきた。 今回は当時の加害者側の視点も入れつつ、話を展開する。

【かごしま有機生産組合代表、全国有機農業推進協議会理事長、日本オーガニック会議実行委員長 故大和田世志人追悼記念ということについて】 もう一人、今回はかごしま有機生産組合の代表、故大和田世志人氏にも登壇を依頼する予定でいた。大和田氏は日本オーガニック会議の実行委員長として、当EXPOでセミナーの企画、最終日の官民連携会議を準備している最中、8月27日、鹿児島にて大動脈剥離で急逝されました。彼もまた水俣病問題に触発され、1978年鹿児島有機農業研究会を組織、1984年にはかごしま有機生産組合を設立し、160名の有機生産者を抱える代表的有機生産団体に育て上げました。彼の生前の功績をたたえ、この上映会とトークセッションを捧げます。       
                           
プロフィール 大澤菜穂子(おおさわなほこ)
水俣病患者の力になりたいと、1973年に両親は水俣へ移住。その後、水俣で生まれ育つ。「他人に毒を盛られたものは、他人に毒を盛らない」と海から陸に上がった水俣病患者たちが作る無農薬の甘夏みかんを販売する団体「反農薬水俣袋地区生産者連合(現在は「からたち」という名称)」を45年前に立ち上げ、自らも15年前に水俣に帰郷し柑橘販売に携わる。小さいころから患者さんと多くの時間を過ごし、年々身体が悪くなる姿、亡くなっていく姿をみながら、水俣病が過去のものになるのではないかと危惧している。

プロフィール魚住道郎(うおずみみちお)
1950 年生まれ、東京農業大学卒業。学生 時代水俣病問題に関わり、1973 年、日本の有機農業運動に重要な役割を 果たした「たまごの会農場」建設に参画、同農場従事を経て、1980 年、 茨城県石岡市で専業農家として独立。平飼い養鶏 600 羽、畑 3.2ha、水 田 15a を経営する。現職:有機農家、日本有機農業研究会理事長、有機農業推進協会理事、茨城県有機農業推進フォーラム会長。著書に『有 機農業ハンドブック』『「有機農業公園」をつくろう』『食と農の原点有機 農業から未来へ』(以上、共著)、「解説有機農業のバイブル」『農業聖典』な ど。各地で講師活動。第 17 回環境保全型農業推進コンクール大賞(農 林水産大臣賞)(有機農業部門、2013 年 2 月)受賞

プロフィール徳江倫明(とくえみちあき)
1951年熊本県水俣市生まれ。食品公害や環境問題への関心から、1978年有機農産物専門流通団体「大地を守る会」に参画。88年日本リサイクル運動市民の会と提携し「らでぃっしゅぼーや」を興す。 97年日本初のオーガニックスーパーを開発、99年有機JAS認証機関「アファス認証センター」を設立。2005年から有機農産物の卸事業を行いながら、一般社団法人フードトラストプロジェクトを設立し、オーガニックマーケットの拡大を目的に活動。2016年、千葉県八街市に「農業生産法人シェアガーデン」を設立。また2016年には東京国際フォーラムにてオーガニックの総合展示会“第一回オーガニックライフスタイルEXPO”を企画・開催。現在230以上の出展者、24,000人以上の来場者を実現し、日本最大のオーガニック展示会となる。 現在、“ローカル&オーガニック”をテーマに千葉県を有機の里にするという目標を掲げ、「有機の里づくり千葉県団体連絡会」を設立し活動を展開中。 とにかく、環境と食の安全をテーマにソーシャルビジネスの企画開発に挑戦し続けている。


日時 2022年9月18日(日)15:30-16:30 
参加費こちらのセミナーは終了いたしました
パブリック
ビューイング
会場
第7回オーガニックライフスタイルEXPO
東京都立産業貿易センター 4階第2会議室  
〒105-7501 東京都港区海岸1-7-1

top